第1部 ポーランド編

第1部ポーランド編

悲嘆の記憶と記録の事柄について、人間のこれまでの歴史的営みから考えます。第1回目はポーランド編です。なお画像はすべて所長が撮影したものですので、無断転載はおやめ下さい。

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    オシフィエンチム駅 アウシュヴィッツ博物館最寄駅 博物館にはクラクフからバス便の方が便利で博物館入口に着く
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    アウシュヴィッツ第一収容所の正門をくぐる ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になるという意味のドイツ語) 画像は当時のものだが、盗難にあい現在はレプリカ
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    アウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ)に展示されている車両 アウシュヴィッツは第一、第二、第三の収容所群からなる
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    これに詰め込まれヨーロッパ各地から収容者が運ばれた 押し込まれる時の凄まじい様子は、たとえば「戦場のピアニスト」などで再現されている
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    ビルケナウ収容所内のプラットホームが終着である 降車場(ランぺ)で降ろされた収容者は直後に「選別」された
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    もともとは家畜運搬用
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    車輪の年代に注目
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    3-7の車両が展示される前、置かれていた別の車両
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    ビルケナウ収容所に残る当時のブロック 木造のものも含めて、広大な敷地にびっしり建てられていた この13号棟は乳幼児収容棟
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    石造りのため残ったブロックの内部 通路は外と同じ泥のまま 蚕棚のような三段のベッドに何十人もが折り重なって寝た
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    子ども収容棟 ドイツ軍は1943年半ば以降、ユダヤ人以外の子どもはガス室へ送らずに収容した 子どもたちが自分のブロックを見失わないよう童画を描いている
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    同じく童画 何の皮肉か子どもが通学する様子を描いている Schuleはドイツ語で学校の意
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    ビルケナウの鉄条網跡 ブロック間の往来を禁止するため収容所内に縦横に設けられていた
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    ビルケナウの残骸 ドイツ軍は撤退する際、自らが行った「事実」の消滅を図り、大規模な破壊工作をした
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    アウシュヴィッツ第一収容所の門
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    真冬のクラクフ近郊、プワショフ収容所跡 所長だったゲートが気まぐれに収容者を銃で撃つシーンは「シンドラーのリスト」で有名
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    プワショフの追悼の記念碑
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